殴り込み事件とオートバイ事故のときのビートたけし

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 芸人・たけしの危機は二度。

 いわゆる〈フライデー殴り込み事件〉のあと、謹慎処分を受けた(86年12月~翌年8月)。愛人だった女子大生のことを報道されたこと(というよりも、女子大生への思いやりのなさ)に腹を立て、さらには弟子たちにかつがれて、講談社の編集部に乱入して暴れた。そうしたたけしの慢心や暴力に批判が集まるかと思いきや写真週刊誌の行き過ぎた報道姿勢が攻撃されたもんだから、各局がおそるおそる、そのうち、何事もなかったように、たけしを復帰させ、ひきつづき帝王として君臨させた。

 次は、『その男、凶暴につき』(89年)で映画監督に進出し、〈世界のキタノ〉となって以降のオートバイ事故。ガードレールかなにかに突っ込んで生死の境をさまよった。
「コントとまちがえたのかと思った」
 という感想がこっそりささやかれたが、世間では自殺説が取り沙汰されていた。命はとりとめたが、顔は正視できないくらいにゆがんだ。最初は、まさかと思ったが、芸人として、また復帰(94年8月~翌年3月まで療養)。じょじょに人気は衰えつつも帝王でありつづけている。

 この事故は、芸人・たけしにとっては致命傷だった。すでにオールナイトニッポンをやめた時点で、話芸からはリタイアしたとみていいが、これ以降はホントにちゃんとしゃべれなくなった。
 
 
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