TVではおもしろくなかったツービート

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 ところが、一種の社会現象と化していた漫才ブームを語りたい学者たちにとって、これほどとっつきのいい入口はなかった。
 ツービートのもうひとつの売りに、〈年寄り〉や〈ブス〉の悪口を言うというのがあった(彼らの当時の著書のタイトルは『わっ!毒ガスだ』だ)。
 世間の人にとっての漫才ブームのイメージはこれであり、ようするに、漫才ブームの漫才は、青春の漫才だったということだ。若者に受けて、大人が反発するのは当然。

 でも、おもしろくなかった。
 〈年寄り〉や〈ブス〉の悪口を言う態度だけが評価/非難されて、ネタじたいのクオリティーは笑えるほどじゃない。もっとも、ツービートがTVで見せるネタは各局がずいぶん切っていたという証言があるので、このことだけで芸人として否定するのはさけたい。が、本書はTVの中の笑いを主にしている。そういう意味で、TVのツービートはおもしろくなかった。

 じっさい、ブームの渦中にあって、代表的コンビとして名は挙がるものの、人気はいまひとつ。ビートたけし自身も、コンビとしての位置は4番目ぐらいだったと語っている。
 この感じは、ビートルズにおけるジョン・レノンに似ている。バンドとして世界中を熱狂させていたときに人気があったのは、ポール・マッカートニーやリンゴ・スターであったのに、ソロになっての活動や評論家ウケがいいという在り方のせいで、あとになって回顧されるときには、まるでジョン・レノンが中心であったような言い方をされる。

 その後、ビートたけしが1人立ちし、カリスマ性を発揮していく背景には、オールナイトニッポンという深夜ラジオのパーソナリティーであったことが大きい(1981年の元旦から1990年の末まで)。
 
 
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