漫才ブームのはじまり

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 1980年1月20日。漫才ブームのきっかけとなった〈激突! 漫才新幹線〉という番組が日曜夜9時『花王名人劇場』枠で放映された。登場したコンビは3組。東西対決の東京代表が星セント・ルイス。大阪代表が横山やすし・西川きよし。それから若手代表として、大阪から東京へ活動の舞台を移していたB&Bが出た。

 これが視聴率を獲ったことから、漫才ブームはスタートする。

 このとき、関西でとくに視聴率が高かったのは、やすし・きよしがひさしぶりに長丁場の漫才を披露したからだと言われている。とっくの昔に〈漫才の天才〉と呼ばれていた横山やすしは、このころ、関西ローカル主体のさえない司会者になりさがっていた。

 おそらく、制作サイドのつもりとしては、B&Bはつけ合わせだったはずだ。多くの人がやすきよを見るつもりで、B&Bに驚いた──と書けばカッコがいいが、はたしてどうか。

 〈漫才新幹線〉の時点で、即座に反応したのは、家族団らんでTVを見ていた子供たちだ。当時、日曜日は『サザエさん』にはじまって、巨大ロボット・アニメのあとを受けた『円卓の騎士物語 燃えろアーサー』や世界名作劇場(前年末までが『赤毛のアン』で、1月から『トム・ソーヤーの冒険』)などなんとなく8chを見る習慣になっていた。日曜洋画劇場(テレビ朝日系)がつまらなそうなときは『名人劇場』が映っている率が高い。

 そこで、出てきたB&Bは新鮮だった。とくに、関西の子供にとっては、東京の言葉でしゃべる星セント・ルイスなんて、つまんないだけだ。なんでこんな古くさい漫才をガマンしなきゃなんないんだと思っていたあとだけに、印象が強かった。

「漫才って、おもしろいんだ」

 このころ、漫才なんてのは、ジジくさい演芸番組の中のもので、ギャグマンガやアニメで育った子供には無関係なものだったそれがB&Bの登場で流れが変わったのである。
 
 
※注

 星セント・ルイスが人気があったといっても、関東の漫才業界の話であり、ナイアガラ・レーベルに参加したなんて値打ちも子供にはわからない。
 
 
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