漫才をブームとして定着させたのが『THE MANZAI』である。1980年4月に第1回が放送されたとき、期待をもって迎える子供や若者が出現していた。
『THE MANZAI』は〈火曜ワイドスペシャル〉という特番枠で3ヵ月に1回程度の放映だったが、これ以降、人々はTVに出ている芸人を『THE MANZAI』に出ているかどうかで区別するようになった。所属事務所がどこだとか関係なかった。
漫才ブームが巻き起こると、各局あちこちに漫才コンビが出る。演芸番組を見ているときも、ザ・マンザイ派の芸人かそうでないかで見る目がちがう。
『THE MANZAI』に出ている芸人は〈おもろしろく、新しい〉のであり、それ以外の(ようするに舞台中心の)漫才コンビは、たまにおもしろいことはあっても、〈古い〉のだった。といっても、これは主に子供の見方である。
ザ・マンザイ派の話芸に対し、
「あんなものは漫才ではない
と否定する大人たちがたくさんいた。そういう大人たちが唯一安心して見られると言っていたのが、トリに出てくる横山やすし・西川きよしのコンビだった。
子供の方からすれば、
「なんで、あんなオッサンが出てくるのか」
と思っていて、彼らがトリで出てくると、あとは見なくていいぐらいの意識だった。
後期の出演者の中に、トリオ・ザ・テクノ(YMO)がいた『THE MANZAI』はそういう若者風俗の一環だった。そこから広がっていった漫才ブームの象徴的存在がB&Bなのであり、自分たちのロゴが入ったトレーナーで登場したりして、新しさをさかんにふりまいた。
古い〈漫才〉じゃないなら、ないでかまわないんである。子供はただ、おもしろいTVを見たがっていた。
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