『笑ってる場合ですよ!』と『オレたちひょうきん族』もはじまる

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 『THE MANZAI』は番組構成としては、ただ漫才をならべているだけだが、若い客のみをスタジオに入れ、そのまえで演じるというスタイルだった。アメリカのショウビジネス風の派手な舞台に、小林克也のDJ風ナレーションといった新感覚を提示した。

 また、芸人たちに対しても、真剣勝負が演出され、出演順は抽選で決められていたという。全11回フル出場だったのは、ツービートと紳助・竜介だけだ。

 やがて、やすきよのいないザ・マンザイ派だけの風景が登場する。80年10月6日にフジテレビではじまった昼の帯番組『笑ってる場合ですよ!』だ。メインの司会者は、もちろん、B&B。これまで、全国ネットで芸人が司会をしていることすら特殊なものだった。あとは、『THE MANZAI』に出ているコンビを中心に、芸人たちが日替わりで出て、コーナーを担当する。基本、ネタはせず、ワーワー騒いでいた。

 さらに1年後、毎週土曜夜8時放送の『オレたちひょうきん族』がはじまった。これはそれまでヴァラエティ番組界の王者であったドリフターズの『8時だョ!全員集合』とまるまる放送時間がかぶる、いわゆる裏番組だった。『ひょうきん族』はやがて視聴率でぬき、ついにはドリフを打ち切りにまで追い込んだ。ドリフはメインの視聴者が低学年で、より年長の子供や若者たちは新しいヒーローが登場する番組にチャンネルを合わせた。

 おもしろいTV局といえば、フジテレビ。笑いの芸能プロダクションといえば、吉本興業──というブランド・イメージが確立していったのは、この流れによってである。それまではヴァラエティの伝統があるのは日本テレビ、大阪で力があるは老舗の松竹だった。

 関西ではTV放映されている新喜劇でなじみもあるし、吉本の力が弱かったとは信じられないかもしれない。現実には、このころ、1組のコンビしか売り出す力しかなかった。
 
 
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