たけしは、たとえば、水戸黄門について、
「あんなジジイが日本中歩き回れるか」
みたいな発言をして、〈ハガキ職人〉と呼ばれるリスナーたちの投稿心をあおる。この一文を見ても、その後のラジオや雑誌の投稿がビートたけしの影響下にあるかわかる。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」
というのは1コのマニュアルでもあるわけだ。ネクラ人間でも、笑いにかかわれることはわかりやすく提示した。
たけしがそれらの投稿の優秀なのを取り上げて読み、あるいは、コメントする。それがまたリスナーにフィードバックされていく。みんな、たけしを審査委員長として崇めていた。やってることは『欽ドン』と変わらないのだが、80年代の欽ちゃん(萩本欽一)のイメージが大衆的なのに対し、ビートたけしは最先端に思われていたわけだ。
ただし、ビートたけしの批評はあんまり信じない方がいい。批評眼そのものはある人だと思うが、次男坊体質というか、その場でのウケを優先させて、とにかく、目についたものをけなしていく。よって、一貫性がない。メジャーなもの、流行のモノをけなすことで、価値観をズラしていく。
漫才ブームのころには、ニューウェーヴ・ミュージックの旗手であったプラスチックスをけなしていた。大衆に対する先端と見られていたプラスチックスを否定してみせるところに、たけしのたけしたるゆえんがある。それまでプラスチックスのファンだったはずのリスナーの中にも、
「プラスチックスなんてダメだよ」
って言い出す人間が出てきたことだろう。ほいで、プラスチックスを相対化させるために、たけしが出してくるのが、アナーキーと三上寛である。三上寛って、おまえは新宿系文化人のなごり雪か。第3の線として、アナクロを出すという展開には魅力を感じない。
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