島田紳助を漫才界に踏み込ませたのは

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 漫才ブームで世に出た(中心人物たちのうちで下積みが短い)という意味でも、最も特徴的なネタを披露したという意味でも、
「ザ・『THE MANZAI』」
 と言える存在が島田紳助だ。松本竜介と組んでいた漫才コンビは通常〈紳助・竜介〉、略して〈紳竜〉と呼ばれた。

 ツナギを着て舞台に上がり、暴走族などのネタを得意としたので、〈ツッパリ漫才〉といったレッテルがはられていた。

 しかし、彼らが新しかったのは、見た目や題材ではなく、ネタそのものだ。紳助が確固とした方法論をもち、コンビの主導権をにぎって、戦略的に自分たちのスタイルを作り上げていったのである。といっても、そこにはお手本があった。

 若き日の、だれにでもあるであろう、自分の将来の道をどうしようかと考える瞬間、紳助がTVで見たのはB&Bの漫才であり、その島田洋七に勝つことを青春の目標とした。

 志願して内弟子になった師匠の洋之介も利用したに近い。洋之介を選んだのは、洋七の師匠だからで、本心は洋七に心酔していた。2年ぐらいは、洋七のあとをついてまわったという。自分が追い抜こうと思った相手のふところに入るという発想がユニークだ。

 目的は、洋七がB&Bで確立した漫才のスタイルを盗むことで、予告して宝物を奪う怪盗のようなものだ。泥棒呼ばわりするのは世間では失礼にあたるが、芸の世界ではそうとはかぎらない。ビジネスなどでも、パイオニアよりも2番手の方が成功することは珍しくない。ギリシア神話の教えてくれるところによれば、泥棒の才がある人間は商才がある。

 紳助は自分語りが好きな人なので、そのあたりの事情を後年あれこれしゃべっている。
 
 
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