紳竜の戦略

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 洋七だって、自分の漫才を作り上げるにあたって、頭で考えるところもあったろうが、根っこは直観的な天才肌に見える。紳助が言う〈16ビートの漫才〉が自分に合っていると思い、そこに自己演出を加えていった。

 紳助の方はそれを徹底分析し、方法論として自分の成功に利用した。洋七のアイデアは〈芸〉の部分にとどまっていたのに、紳助の方は芸人の成功という部分まで視野に入れていたのである。

 1人が主にしゃべり、矢継ぎ早にネタをくり出すスタイルは、芸の未熟さをカバーできる利点があると紳助は考えた。これと真逆にあると位置づけていたのが夢路いとし・喜味こいしの上手いがスロー・テンポの漫才だ。

 もう1組、紳助がお手本にしたのが海原千里・万里。妹の千里は紳助と同い年ながら、すでに成功していた。のちに大阪のTVで人気司会者として君臨する上沼恵美子である。

 紳助はこうした漫才を徹底的に分析した。

 ちなみに、洋七は、横山やすしに目をかけてもらっていたことや芸風を確立するにあたって助言をもらったようなことを口にしている。

 それに対し、キャラクター的にある部分で横山やすしと重ねられることもあった紳助は、自分たちの漫才は反やすきよを目指していたという趣旨の発言をしている(古い、倒すべき漫才の意味だろう)。このあたりが感性の分かれ目だ。

 また、同期に明石家さんまとオール阪神・巨人がいて、明るさではさんま、上手さでは阪神・巨人にはかなわないから、自分はヒール(悪役)でいこうと考えたという。

 成功したのちに語っていることだから、都合のいいように話を整理している可能性があるが、竜介と組むとき、こう言ったそうだ。

「この漫才のスタイルは売れるけど、長くはつづけられないから、それまでに、それぞれ次の道を見つけよう」
 
 
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