ビートたけし司会の長寿TV番組

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 TV史的によく取り上げられるのは、『天才たけしの元気が出るテレビ』(85年4月~96年10月)だ。セットに江口寿史のマンガのキャラクター=トーマス兄弟が使われていた。現在も氾濫するスタジオにいる人間がビデオを見てコメントするヴァラエティ番組の源流。ドキュメンタリーの手法を導入したことが画期的だったように語られるが、そのアイデアじたいは萩本欽一に先例がある。半シロウトの手下を大勢登場させた。

 ちょっと目先が変わっていたのは、番組内で企画したタレント・ショップをオープンさせるまでのロケ・ビデオなど。いわゆるバブル経済に向かっていく時代の空気とマッチしていた。

 番組として成立したのは、たけしの本質がコメンテイターであるところによる。批評というのは受身の芸なので、意図的に批評するための状況を作り出したわけだ。

 たけしの番組で、最もつづいたのが、日曜昼の『スーパージョッキー』(83年1月~99年3月。途中、謹慎や療養あり)。テレビ・ショッピング的な設定で、本来すすめるべき商品をたけしがけなし、弟子がビートきよし風にたしなめながら、利点を説明するというコーナーなど。内容がぬるい反動か熱い湯につかるコーナーが名物だった。弟子や三流芸人をイジメるときのたけしのうれしそうだったこと! これって、ホントーは自分がつかりたかったんじゃないか。芸人として蔑まれたいというマゾヒスティックな願望がたけしは強い。

 本来は、たけしがいたからできたような番組だが、視聴者が見なれてしまうと、たけしがいなくても作られてしまうことになる。
 
 
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