最後はTVで成功したが、紳助の人のくり出す笑いの根っこは聴覚的なものだ。したがって、その笑いが最もいきるのは、ラジオのパーソナリティーをやったときである。
1984年4月から3年強務めた『ヤングタウン』木曜(MBS)もまあまあだが、絶品は1982年4月から地元の京都でやっていた『ハイヤングKYOTO』土曜(KBS)だ。
コーナーほとんどなし、CM入れるタイミングも自由で、ディレクターに相づちを打たせながら、ほぼ1人でしゃべる。途中からは高校時代からのツレである土建屋よしゆきを入れたが、ようするに雑談だ。それだけで、毎週土曜の夜の2時間を埋めるのだ。
のちに、『EXテレビ』などでも一部を披露しているが、笑いの核は京都を舞台にしたホラ話だ。清滝で岡っ引きを見たとか。で、後半は当時やっていたレーシングチームの話になり、ポップ吉村のことなどを熱く語る。
最大の爆笑編は、Hクンにまつわるさまざまな話だ。
ダウンタウン松本と2人でやったラジオ的なTVの深夜番組『松本紳助』の2001年ごろに2~3回、こまぎれに披露している。
『松本紳助』(のち『松紳』に改題)は、関連本は何冊が出ているが、要望の多かったDVD化はなされていない。紳助が高校時代の友人について語ったところだけでも編集して出せばいいのに。もちろん、Hクンは完全収録で。
てか、KBSがハイヤンを出してくれるのがいいんだけど。いまなら、ネット配信とか、やりようがあるんじゃないかな。
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