紳助・竜介の解散

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 しかし、ブームによる超多忙スケジュールというものは、クリエイティヴな面に関してはマイナスが大きいようで、紳竜ですら、おもしろかった時期は短い。B&Bより心持ち長持ちした程度だ。

 1985年5月、紳助・竜介は解散を発表する。

「このままつづけても、サブロー・シローやダウンタウンには勝てない」

 というコメントは(それを報じる記事が無名だったダウンタウンの名を消したこととともに)有名だ。

 漫才ブームはとっくにおわっており、漫才番組はあるものの惰性で、紳助は自らヤル気がないことを漫才のネタにしていたが、そこまでいくと、もう笑えなかった。

 世間的には、81年5月にはじまった『オレたちひょうきん族』で、紳竜にかぎらず、漫才師がバラ売りされており、コンビは形骸化していた。

 紳助にとって不幸だったのは、アメリカの『サタデー・ナイト・ライヴ』を目指したらしい(が、足もとにも及ばない)『ひょうきん族』がコントやパロディ主体の番組だったことだ。同年7月に主演映画『ガキ帝国』が公開されたときに自分で認めていたように、紳助は竜介とちがって、演じることに向いていない。コントでは個性がいきないのだ。

 『ひょうきん族』でチャンスをつかんだ明石家さんまとここで立場が逆転してしまう。80年代後半の紳助は低迷期と言っていい。90年代になってから、じょじょに司会者として頭角を現していったが、かつてのファンの大半は紳助のやろうとしていることがわかっていなかった。ヒールの部分も表面的には消して、いざというときに出すという形で、軌道修正していった。
 
 
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