やすよ・ともこのスタイルが漫才の理想型である

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 なぜ、海原やすよ・ともこの漫才がおもしろいのかをあらためて分析しておこう。

 やすともの漫才というと、〈東京人と大阪人〉や〈若い子とおばちゃん〉を比較するネタの印象が強い。個人的には、姉(ともこ)と妹(やすよ)のちがい(『どこいこ』風に言うと、〈小競り合い〉)が好きなんだが。
 物事を並列させて、その差を語るという形式は B&Bや紳助・竜介など80年代のTHE MANZAI主要コンビが得意としたパターンである。

 兄弟漫才で年令も近いことから、ならべて語られることも多い中川家とくらべてみると、互いの特徴がよくわかる。
 向かって右(上手)のデカい方(中川家では、弟の礼二)が明るくて、よくしゃべる点では、どちらもB&Bのスタイルに似ている。
 しかし、中川家でおもしろいのは、向かって左(下手)の兄・剛の方だ。ボケというより、いらんこと言い。そのとき、礼二は完全にツッコミとなる。ただ、礼二自身もおもしろいことを言うから、世間では礼二の印象が強い。

 やすともの場合、向かって右のともこが話を進行させて、勝手におもしろいことを言うから、よりB&Bのスタイルに近い。ついでに言えば、ともこのあいさつである「よろしこ」はたけしの「コマネチ」を思わせる。

 個人的には、やすよのファンで、ツッコミなのに、ぼんやりしているところが好きなのだが、やすよがおもしろいって話は、関西の笑いがわかってるやつに話しても、はじめのうちはなかなか通じなかった。
「なんでェ。ネーチャンがメチャクチャおもろいやん」
 とか言われて。最近は『どこいこ』などのおかげで、やすよのおかしさもだいぶ浸透してきたけど。

 彼女たちの比較ネタで80年代より進化している点がある。B&Bの広島vs岡山なら、ツッコミでほとんどしゃべらない洋八が岡山を代表し、洋七が広島のよさを一方的にホメまくるというスタイルだ。やすともは、やすよ本人の言動を攻撃する場合をのぞいて、ともこが両方やる。カッコをつけた東京人を大げさに演じ(つまり、揶揄し)て、1回笑いをとったあと、そんな風にカッコつけられない大阪人を語って爆笑させる。

 大阪のおばちゃんのネタで笑いをとることなど、だれでもやっているが、だからこそ、どういう内容をどんな風に切り取るかというセンスがきわだつ。

 やすよは立場上はツッコミだが、世間のイメージにあるツッコミらしいツッコミはほとんどしない。シメの合図である「もうええわ」ぐらいのものだ。

 フツー漫才の基本とされるのは、ボケが非常識なことを言い、ツッコミが常識にひきもどすという型だ。つまり、ボケとツッコミは反対のことを言う。近年の漫才では、ツッコミも工夫して、「なんでやねん」「よしなさい」だけでなく、たとえツッコミをしたり、うまいこと言ったりする。やすよはそんな小賢しいことはいっさいしない。ともこに話しかけられたことに受け答えしているだけだ。

 反対せずに同意することもフツーで、漫才の教科書では禁止されている〈笑う〉こともしょっちゅう。「なんでやねん」と言うこともあるが、それは漫才用語の「なんでやねん」ではなく、大阪弁の日常会話の「なんでやねん」だ。元来、大阪弁の会話を洗練させたものが漫才であって、喫茶店の会話をそのまま舞台に乗せてウケたら最高と言われてきた。やすともはほとんどその域に達しているのである。

 いとし・こいしに代表されるしゃべくり漫才の正統を継ぎながら、80年代のTHE MANZAI以降のセンスを吸収したハイブリット。最近の漫才師がコンビを組んだら真っ先に考えるようなキャッチフレーズやわざとらしいキャラづけなどなくても、それ以上に笑わせる話術。これを理想と言わずして、なにが理想か。あとはネタが古びないようそのときどきの流行を適度に取り入れて、新鮮な気持ちで笑わせつづけてくれることを願うのみである。

 ホンモノのお姫様は一代では生まれない。三代たってはじめて、生まれながらのお姫様となる。やすよ・ともこは女漫才を祖母にもち、芸人一家に生まれ育って、いまや年令も実力も貫禄も王女の域を脱して女王となった。ただ、そこは漫才の王国だから、女王は1人ではなく2人なのだ。
 
 
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