やすともが出演した『ENGEIグランドスラム』での緊張感と存在感

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 海原やすよ・ともこが『ENGEIグランドスラム』に出たのには驚いた。と同時に心配でもあった。

 だいたい、登場がせり出しである。2人には似合わんなーと思てたら、案の定、似合わん。本人たちも、おなじみ、
「よろしこ」
 のあと、
「すごいですね。なにがすごいって、大阪でこんなん、こんなん上がってくるような漫才番組、ない」
 と言ってた。

 それだけではない。客はM-1以降の、笑おうと待ちかまえている女性たちである。こんな層に、やすともの漫才がウケるのか。

「まず、もう東京っていうだけで、ちょっとこうドキドキするしね」

 気づいただろうか? 2回目にして、3時間に拡大にしたこの特番。オーソドックスな漫才を見せるのは、やすともだけなのだ。それがいまのENGEIの現状である。

 いちお、しゃべくり漫才に分類されるようなネタをやっているコンビはいくつかあるけど、どれも設定に従って話を進めるタイプになっている。やすとものように〈私たちのいま〉をそのまま会話にするようなコンビは他に出てこない。それでいて、すでにツカミの笑いをとっている。いとこい亡きいま、こんな王道をサラッとできるコンビは他にない。

 おれはM-1以前から、やすともファンを公言してたし、世間がM-1で浮かれてるときも、好きなコンビを訊かれたら、やすともと答えていた。彼女たちの魅力のひとつがネタの自在さだ。

 『ENGEIグランドスラム』で披露したネタの部分部分は大阪の漫才番組で何度もやっているネタである。でも、そのつど、アレンジを変えて、少しずつ更新していく。

 最近、大阪にくる人(観光客)が増えていることにふれ、
「うっすら観光地のフリしだしてるもんな」
 と言い回しで笑いをとる。
「いや、ちがう。うっすらじゃない。立派な観光地ですよ」
「どこがや。もうバレてんねん、見るとこないなーゆうて」
 と、ともこがグリコのマークを全身でやってみせる。
「ここ見たら、ほぼ、おわり」

 客たちは、なれない漫才で必死に笑うところをさがそうとするから、舞台上と呼吸が合わない。本来、舞台芸ある漫才は客席の笑いもネタのうち。音楽のライヴでやるコール・アンド・レスポンスみたいなもんである。そこがしっくりこないから、漫才の〈間〉も悪くなる。

 東京のゴールデンってこともあって、本人たちもキンチョーしてたんだろうが、余裕がないと、やすよのよさがあまり出ない。ま、笑いはそれなりにとれて、大恥はかかずにすんだ。

 これなら、やすともをはじめて見た連中には、まだまだ魅力が伝わらなかったろう。ファンにとってはありがたいことで、なにかのまちがいで東京進出なんかされたら、こまるんである。大阪のレギュラーとときどきネタ番組に出て、少し新ネタが見れたら、それでいい。

 その昔、『THE MANZAI』にやすきよが出ている意味がわからず、それをホメてる大人を見て、
(わかってないなー)
 と思ってた。いまどきの漫才とは形の異なるホンモノのしゃべくりを見せてくれるやすともは、年令的にも、あのころのやすきよのようなポジションにいるんだ。

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