「諦念プシガンガ」は戸川純の代表曲でありながら、じつはシングルカットされてない。しかし、巫女姿で歌う「諦念プシガンガ」の印象が強いこともあって、『玉姫様』が出た当初から戸川純と言えば、「諦念プシガンガ」ということになっている。
さらに「諦念プシガンガ」というタイトルや歌詞のわかりにくさ、昔っぽさにも戸川純印が刻印されてて、よく話題になる。
♪嗚呼我が恋愛の名において
という以上、ラヴソングであるのに、その有名なサビときたら──
♪牛のように豚のように殺してもいい
いいのよ我一介の肉塊なり
この「諦念プシガンガ」の歌詞や背景については、『玉姫様』で注目を集めていたころに宝島社から出た『戸川純の気持ち』の中で戸川純自身が語っているので、少し引用しておこう。
「諦念プシガンガ」は受動という大前提のもとにある能動
「『諦念プシガンガ』は受身側の攻撃なわけ。好きな男性に「じゃあ、君、さようなら』と言われた時に、「わかったわ、別れるわ。だけど憶えておいてちょうだいね。私はこれから死ぬまで一生あなたのことを考えてるわ』と言うとするでしょう。男が幸せな家庭を築いた時に、ふとその言葉を思い出したら、もう攻撃よね。(中略)嫉妬は良くないものでしょ。『あの女との仲を引き裂いてやる』って歌だったら、あまりにも情けないというか、男だって馬鹿にはしてもゾッとはしないと思うの。負性を背負った者が勝った方を超えるとしたら、善・倫理・道徳に属したものを武器にしなくちゃね」
(引用元:戸川純・宝島編集部『戸川純の気持ち』)
諦念を導くもの
〈牛のように豚のように殺してもいい〉という歌詞の思想的なインパクトはたしかにすごくて、つい引用したくなる気持ちもわかるのだが、個人的には、〈いい〉からもういちど、〈いいのよ〉とくり返す歌としての心地よさが好きだ。おまけに〈一介〉〈肉塊〉と重ねてくるところがなんとも戸川純だ。
レトロ感をかもし出す役を担う2番冒頭の〈お昼のドン〉の意味がわからない人がいるみたいだが、これは午砲のことだ。正午を知らせるために陸軍が撃っていた空砲である。
♪その暴虐の仕打ちさえ
もはやただ甘んじて許す
というサビを導く一節は女優業での経験がベースにあって、この歌詞を書くきっかけになったという話がある。一例として、〈サディスティックな演出家〉である久世光彦に強要された、
「意味があるとは到底思えないヌードシーンには泣きました」
(引用元:戸川純『戸川純全歌詞解説集――疾風怒濤ときどき晴れ』)
と語っている。これにとどまらぬさまざまな理不尽を、己の感受性でもってラヴソングとして昇華させたということだろう。
「あの女性は死んでないのね。2番で最後の死への願望も駄目だったのね」
(引用元:戸川純・宝島編集部『戸川純の気持ち』)
タイトルの〈諦念〉はあきらめの心境のことだ。戸川純はこの〈諦念〉こそが自分という人間の核だとも言っている。
太宰治が「浦島さん」の中で聖なる境地として乙姫の諦念を描いていることを知れば、より味わい深いものとなるだろう。巫女の衣装じたいはライヴのための演出としても、だ。
プシガンガの意味
プシガンガの意味はよく訊かれるのか、『戸川純全歌詞解説集』の中で説明している。
プシガンガとは「円座してお酒を飲んで歌い踊る」ことだ。
そのまえに、意味はわからぬとも、「諦念プシガンガ」という言葉の響きを味わうべきなんだと思うけれども。
また、アルバムの歌詞カードでは〈一塊の肉塊〉となっているが、これは〈一介の肉塊〉だと明言している。レコード会社に勝手に変えられたものが流布しているのだ。
ところで、この本で語られている知らない女の人に膝枕され、自分について話されていることを聞くシーンはまるで、小説のワンシーンのようだ。
「この子いくつ」
「21になるんだって」
(引用元:戸川純『戸川純全歌詞解説集――疾風怒濤ときどき晴れ』)
脇役に高木完と久保田慎吾がいる。
平沢進にも衝撃をあたえた戸川純
衣装の印象や歌詞世界から沖縄と結びつけられ、女優としてそんな映画にも出ている戸川純。『玉姫様』の話題性も映像あったればこそで、その本質に女優魂があることはまちがいないが、クリエイター(作詞家)として見たときのすごさは選曲にある。
こんな歌詞を乗っけてる曲はアンデス民謡なのだ。アンデスといえば、古代文明の地。一方、沖縄は日本の中の異国であると同時に原日本的な土地でもある。牛や豚の位置に身をおくことで、人類のDNAに訴えかけるような歌詞を紡ぎ出す。
あの平沢進が恐れおののいたという戸川純の女性性はこのあたりからくるものだろう。戸川純を聴いた平沢進は「MONSTER A GO GO」などを収録する予定だったアルバムの制作を中断し、結果的にP-MODELを活動休止させることになる。その後の戸川純と平沢進のコラボレーションは知る人ぞ知る。
細野晴臣と平沢進の両人をまいらせるとはさすがニューウェーヴの歌姫である。
●戸川純「諦念プシガンガ」
作詞:戸川純/作曲:Acosta Manuel Villafane(アンデス民謡)
収録アルバム『玉姫様』は ⇒ こちら
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