THE MANZAI内容見直しでM-1がピンチ

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 『THE MANZAI 2015』 についての発表があった。内容を見直し、これまでのコンテスト形式をやめ、漫才の祭典にするという。ようはネタ番組だ。それだけなら、珍しくないが、出演者のメンツが通常の特番とはケタちがい。フジテレビは年末特番でFNS歌謡祭をやっているが、それの漫才版といったスケールだ。

 『THE MANZAI 2011』 をはじめるときに、プロデューサーがラヴコールを送って、相手にされなかったブラックマヨネーズなど、M-1王者が軒並み出る。それプラス海原やすよ・ともこという、ずーっと昔から、おれが見たいって言ってた内容に近くなった。本来の(80年代の)『THE MANZAI』の形式にもどして、規模を大きくした形だ。

 80年代の『THE MANZAI』は、そのとき、いちばんおもしろい漫才を見せるところに値打ちがあった。じっさいはそこまで厳選されていたわけではないが、B&B、紳竜、ツービートが出ていたってことだ。ベテランだからという理由で、つまんなくても、大物扱いされるような芸能界にありがちな部分がなかった。やすきよは別格扱いだったが、まあ、ベテランの中ではいちばんおもしろいとされていた人たちだ。

 結果、漫才が若者に受け入れられ、TVが笑いの人気者を作る時代になった。

 いまどきのネタ番組は新しい人気者を見せるのが中心になっている。M-1王者たちの漫才が見られる機会は少なく、出てもわずか。そこをごっそり見せようというのだから、期待は高まる。たぶん、年1回の開催にするのだろうが、このときばかりは恥ずかしいネタはできないと演者たちが考えるなら、80年代の『THE MANZAI』の精神を受け継ぐことになる。

 『THE MANZAI 2011』 がダメだったのは、だれがどう見ても、M-1のマネだったからだ。M-1が10年でおわったのは、おわったなりの理由があるんである。それを「おわるんだったら、こっちでやらせてもらいます」的なパクリ精神でやったから、ロクでもないものにしかならなかった。どうせパクるなら、〈真剣勝負〉という本質を盗めばよかった。それなのに、第1回の優勝者まで、パンクブーブーという二番煎じだった。

 そんなしょーもない〈新〉『THE MANZAI』に嫉妬して、復活させたのが『M-1 グランプリ2015』だ。なんの反省もないどころか、その精神は〈新〉『THE MANZAI』のマネだった。あげくに、『THE MANZAI 2014』準優勝のトレンディエンジェルを優勝させるというバカなマネまでマネした。出場資格を10年以下のままにしときゃ出さずにすんだのにである。

 M-1に5年ブランクがあったかたって、そのあいだ、『THE MANZAI』やってたのはだれでも知ってる。もし、10年以下にしていたら、今回出られなかったのは、2010年最後のM-1の出場時に結成5~9年だったコンビだ。それだけのキャリアで成功しなかったんなら、M-1がつづいててもいっしょだ。今回残った10年以上のコンビは、すでにそれなりの地位は築いている(ジャルジャルの片方はボルボに乗ってる)ようなのばっかりだった。

 ようするに、すでに人気のあるコンビを取り込みたいという本質からズレた欲をかいたせいで、新しい人気者を作るというかんじんな機能を失ってしまった。

 復活したM-1が唯一、ハッキリ変えたのが審査員の顔ぶれだ。歴代の王者をそろえた。このメンツが『THE MANZAI 2015』 で漫才を披露するんである。これでもうM-1はTHE MANZAIの2軍みたいに見える。

 THE MANZAIの改変案がだれによるものか知らないが、商人としてのセンスは抜群だ。しかも、ここにくるまで、『ENGEIグランドスラム』という形で、小手調べをしてきた。やすともの起用や爆笑問題のトリはそこで試している。あとは出演者たちがお茶をのごさず、本気の漫才を見せるかどうかだ。
 
 
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