作劇において、〈二重の評価軸〉の問題は処理がむずかしい。マンガの世界には、さまざまな天才が登場するが、生身の人間が再現しようとしたとたん、
「それのどこが天才やねん」
というツッコミを食らう。つまり、作中での評価と観客の評価にズレが生じる。これが〈二重の評価軸〉の問題だ。
それが『ガラスの仮面』ときた日にゃ、こともあろうに、〈天才演劇少女・北島マヤ〉を女優が演じる。配役された時点で、
「ほおーっ、おまえが天才?」
とケイベツの眼差しで見られかねない。しかも、原作は大長寿人気マンガだ。それをCG多用の映像作品ではなく、生の舞台でやってのける。
前回の公演のとき、貫地谷しほりは北島マヤを演じなければならなくなったことを、
「最初、イヤだった」
と語っていた。原作マンガのファンとしての正直な反応だろう。しかし、今回の公演では、事前のインタビューで、余裕の発言をしている。劇中の北島マヤを〈天才〉にするのは、周囲のリアクションなのだ、と。作劇の秘密をあっさりバラしている。貫地谷しほり……恐ろしい子。
アップしました! 宝塚ジャーナル : 不朽の大長編マンガ『ガラスの仮面』で再び北島マヤ役に挑む! 貫地谷しほり インタビュー https://t.co/XerM566Uil pic.twitter.com/GcEiGr2Ccy
— 宝塚ジャーナル (@takarazuka_j) 2016年9月7日
それにしても、貫地谷しほりの起用を思いついた人物は慧眼だ。もともと、役柄によって、演技タイプ(=仮面)を変え、コスプレを持ち味にしている貫地谷しほりに、この役は向いている。原作ファンは「チビ」であることもうれしいかもしれないが(貫地谷しほりは156cm )、むしろ、原作には希薄な要素である〈笑い〉を貫地谷しほりが武器にしていることがプラスに働いている。
再演とはいえ、かなり脚本が変わった今回の舞台『ガラスの仮面』で、初演から引き継がれたシーンのひとつに『ふたりの王女』のオーディション・シーンがある。これは北島マヤの見せ場であると同時に、貫地谷しほりの見せ場でもある。マンガより舞台の方が効果のあがるシーンだ。
初演でウケたのは、松永玲子その他、周囲の女優たちの戯画化されたリアクションだ。今回の舞台では、前半のかなり早い段階で出てくるのが笑いの量は減っているのがもったいないが、ねらいはいっしょだ。戯画化されることで、〈二重の評価軸〉にありがちなツッコミは相対化される。
ちなみに、新しく加えられたシーンでウケてたのは、
「えーっ、社長が女の子とケンカしてる」
だ。このケンカじたいは、少女マンガや映画・ドラマでは定番のシーンだが、それだけに〈いかにも〉な感じを求められており、それをあっさり生の舞台でやってしまうあたりが、地味にすごかったりする。
貫地谷しほり自身のセリフだと、幕前の、
「いっぺん殺したる」
だね。ここは脚本が笑いに対して不親切なので、演技の瞬発力がいる。
ふだんは「みそっかす」である北島マヤは姫川亜弓(マイコ)や月影千草(一路真輝)とちがって、素顔と仮面のギャップが大きい。その演じ分けにコメディエンヌとしての素地が活かされている。
貫地谷しほり再演「ガラスの仮面」は紅天女の場面も https://t.co/s5UaC0WKc2 @nikkansportsさんから
— 舞台ガラスの仮面 新橋演舞場16日から! (@Glass_stage2016) 2016年9月2日
今回の再演での見どころは、なんといっても、初演時にはなかった花道での演技だ。貫地谷しほりの最初の花道は、桜小路優(浜中文一)と歩いてはける、という使い方で、スポットがあたっているのは、正面の舞台の上なのだが、暗闇の中でも目が光っているのが印象的だ。
その直後に、こんどは走り込んでくるのだが、病院にかけつける必死の形相だ。さっきまで、あの花道の奥で待機してたはずなのにね。速水真澄(小西遼生)のもとに乗り込むときは、肩をいからせ、いわば背中で演技し、最後は感極まって、未来に向かってかけ出していく。
観客は自分の見たいところを見てればいい、というのが舞台のいいところである。
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