島田紳助がYouTube出演:復帰否定の声が小さかった理由

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2020年1月、島田紳助(63)がYouTubeの番組(動画配信)に出演したといって、TVのワイドショーまでが取り上げる話題になった。2011年に暴力団員との交際が問題となり、引退してから8年半ぶりに公の場に顔を出した(週刊誌のインタビューに答えるような形で登場したことはあったが)。

YouTubeに登場した島田紳助を見て感じたこと

出演したのは、misonoがやってるチャンネルで、べつのコンテンツが違法にアップされてる類ではない。『misonoの為に!?島田紳助さんが特別に出演して下さいました…~復帰ではありません~前編』というタイトルがついている。山田親太朗と3人で画面に登場した。

ひさしぶりに見ての第一印象は「おじいさんになってるやん」である。人前に出なくなるというのはそういうことなのだろう。冒頭でナルホドと思ったのは、紳助が「昔、島田紳助という名前で仕事してました」と自己紹介をしたことだ。いまは本名の長谷川公彦にもどっているので、メディアも〈元・島田紳助〉とするのが正確だと思うが、そういう配慮は見られない。ま、ボクも島田紳助のその後に少し興味があっただけで、長谷川公彦に対する関心はないので、〈紳助〉と書くが。

週刊誌のインタビューのときも、一部の芸能人とは交流がつづいていることを明かしていたが、今回もそういう流れで、「出してくれや」と言って出演となったらしい。

※経緯については、misonoの公式ブログに載っているので、そちらで、どうぞ。

 ⇒ 2020.1.11に起きた奇跡…山田親太朗のおかげで島田紳助さんと再会&YouTubeの撮影!?

YouTubeでのトークの内容は、misonoと山田親太朗が『ヘキサゴン』の出演者であったことから、その想い出話が中心だった。紳助が自分のやった番組の中で『ヘキサゴン』に特別愛着があったことを語っていて、当時からその雰囲気はただよっていたが、理由はわからなかった。視聴率はよかったかもしれないが、番組内容じたいはすごかったわけではない。

でも、これを見ていて、わかった。あのころ、ヘキサゴン・ファミリーとか紳助ファミリーと呼ばれていたが、他に世間から〈ファミリー〉と呼ばれている人たちのことを考えればわかる。そう、紳助はマフィアごっこをやってたわけだ。自分が差配して構成員に金を稼がせるという。その手段が合法だっただけで。あと、ヤクザ屋さんは「泣けるやん」と人前で言わないってあたりがちがうが。

島田紳助が語った声の大きさに関する話

さて、YouTubeの方は、ボクが見た段階で、再生回数が550万超。TVの視聴率と単純比較はできないが、数%に相当すると思えば大したもんである。で、ついてるコメントの大半が「misonoの笑い声がうるさい」である。

このへんが手間をかけてるTVとの差だから、YouTubeも技術面ではまだまだ改良の余地ありといったところ。じっさい、misonoはうるさいが、ヘキサゴンに出てたころからこんなやつだったので、親太朗と2人、変わらなさぶりが、ある意味、すごい。とか、思ってると、そのうち気にならなくなる。

で、わかったのが、これがTV収録であれば、misonoのテンションの方が正しいってこと。紳助が『松本紳助』をはじめた当初、「こんなん、高校の休み時間に録れるよな」と言ってた。で、唯一ちがうところがあるのは、TVの方が「声をはってること」だと。つまり、あのYouTube内の紳助は日常のテンションでしゃべってるということである。

だから、もうええんちゃう、というのがボクの感想だ。復帰を願う声もあるようだが、あれはもう長谷川公彦さんだ。あいかわらず、トークは安定している。そこから、ひるがえって証明されたのは、紳助は高校の同級生としていたような日常会話のノリをTVやラジオといったメディアで再現することに抜群の才能をもっていた人だということだ。

加えて、ある面に関しては商才があったわけだが、今回もTVではく、YouTubeを選んでいるあたりに読みの確かさを感じる。一部の人が期待してる形での復帰はないと思うが、YouTube(配信)というものの、感触は見ておきたかったんじゃないか。芸能と関係なくても使えるものだし、まだ世の中へのアンテナははっておきたいのだろう。

余談:世間の紳助に対する態度を見て考えたこと

紳助はだいたい以下のような発言をしていたのだが──

「いまの芸能界はたいへんですよね。もの言いたいね。芸能人な、ヴァラエティで規制が厳しなって、これ言うたらあかん、あれ言ったらあかんこれ言うたらあかん、あれ言ったらあかん、と。(中略)女行ったら、やいやい言われて」

これについて、たまたま目にしたワイドショーが「苦言」と表現していた。この「苦言」って最近の隠れ流行語だと思う。そして、これは「コンプライアンス」という言葉の流行とセットになってる。あたりまえの批判がなくなっていることの現れだよね。

あと、コメント欄には、紳助の復帰に強く反対する声も見られる。理由は、引退の引き金になった反社会勢力との交際。で、思うんだけど、復帰に反対している人の多くが、「復帰=TV出演」としているように見える。そういう人たちって、TVを絶対視しているんだろうね。そこに出られるのは選ばれし人たちで、自分も出られないのに、あんなやつが出ていいわけないだろって発想になってるんじゃないかな。

民主主義の世の中では、政治家は国民に選ばれてなるものなんだけど、当選したとたんに、カンちがいした人間が権力をふり回しはじめ、それを絶対視して、権力者のルール違反に加担する人間が出てくるという構造に似ている気がする。

ただ、もうTVはメディアの王様から転落していて、自分たちで勢いを加速させているので、「復帰反対」と力むのは少し的はずれな印象を受けるんだな。