1983年08月発売のヒット曲と話題

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伊武雅刀「子供達を責めないで」

 作詞:Ivan Reeve/作曲:H. B. Barnum/日本語詞:秋元康
 (14万枚/最高20位)

 サミー・デイヴィスJr. 「Don’t blame the children」をムチャクチャに改変した歌詞。 
 

松任谷由実「ダンデライオン ~遅咲きのたんぽぽ~」

 作詞/作曲:松任谷由実

 カップリングは「時をかける少女」のセルフ・カヴァー。
 
 

杏里「CAT’S EYE」

 作詞:三浦徳子/作曲:小田祐一郎
 (73万枚/年間6位)

 アニメ『キャッツ・アイ』の主題歌。原作の北条司は『シティ・ハンター』も描いた人で(このTVアニメのエンディング・テーマが岡村靖幸だった)、ちょっと大人っぽいマンガを描き手だった。
 レオタード姿の三姉妹が怪盗で、しかも、いちばん下の妹が日常生活でいえば彼女たちの捜査を担当している刑事の恋人という――『ルパン三世』でいえば、不二子ちゃんと銭形警部がつきあってるみたいな、ありえない設定で、ラブコメ要素を導入したのが、ヒットの要因。
 なんせ、3月に出たH2 O「想い出がいっぱい」(阿木燿子/鈴木キサブロー/萩田光雄)が先行して、ヒット。これは男2人組のフォークみたいな曲だが、あだち充原作のTVアニメ『みゆき』にあやかったヒットだった。時代はラブコメなんですよ。
 さて、杏里の「CAT’S EYE 」の方は、ラブコメ関係なくて、洋楽にして年間チャート9位に入ったアイリーン・キャラ「フラッシュ・ダンス」(83・06)がらみ。「フラッシュ・ダンス」はアメリカの大ヒット同名映画の主題歌。
 レオタードの連想から「CAT’S EYE 」の曲調はこの「フラッシュ・ダンス」をヒントにしているはずだ。パクリとかいうんじゃなくて、全般の雰囲気ね。とにかく、ノリノリで気分を盛り上げてくれる。アニメにもってこい。
 重要なのは、『フラッシュ・ダンス』という映画が『サタデー・ナイト・フィーヴァー』のディスコからダンスそのものへと力点を変えたこと。日本ではダンスとディスコは同義語かもしれなが、アメリカには、ブロードウェイもあるわけね。しかも、そろそろブレイク・ダンスが注目されており、これはストリートからの発信であった。
 翌年、マイケル・ジャクソン、マドンナの世界的な蔓延により、ポップ・ミュージックの主流はロックからダンス・ミュージックへと移行した。ま、もともと歌謡界にロックのなかった日本では、表現としてのテクノがおわる(技術は残った)。それはYMOが解散しただけだったりもするけど。そして、世界的にロックが死んだあとに、日本では、歌謡曲や演歌の代替品として、ミュージック・シーンの主流となっていく。
 なんにしろ、そうした〈ロックの死〉に日本の歌謡界で対応したのが杏里の「CAT’S EYE 」だった。そんときは、だれも気づかなかったけど。
 個人的には、11月に出た「悲しみが止まらない」の方が好きかな。こっちは曲はノリノリのまま、悲しい気分を歌ってる。
 
 

高田みづえ「そんなヒロシに騙されて」

 作詞/作曲:桑田佳祐
 (25万枚/年間45位)

 楽曲じたいは原坊の歌うサザン・ヴァージョンで知ってる人も多いだろう。年間50位には原由子「恋は、ご多忙申し上げます」もチャートインしている。桑田佳祐は原坊にかぎらず、女性歌手に楽曲提供するときは、ストレートに60年代歌謡をやる(サザンの場合はそれとロックのかねあいに悩むわけです)。でも、研ナオコ「夏をあきらめて」は自分で歌ってる。そこに秘密をとくカギがある。なんの秘密かは知らないが。
 
 

谷啓「オムライスチョンボNo.5」

 作詞:高平哲郎/作曲:中村誠一

 児童番組『ひらけ!ポンキッキ』で使用された。経緯は不明。もともと有名なトロンボーン奏者だった谷啓は75年に〈谷啓とザ・スーパーマーケット〉を結成後、再び注目を集めて、とくに、『欽ちゃんのどこまでやるの!』に出てから復活した感じで、深夜番組『素敵なあなた』で82年4月~83年3月まで由利徹と司会をしていた(このあとはじまったのが、いまや伝説の女子大生番組『オールナイトフジ』)。『週刊欽曜日』にも出演。
 
 

松田聖子「ガラスの林檎」

 作詞:松本隆/作曲:細野晴臣
 (70万枚/年間7位)

 大村雅朗一世一代の名曲「SWEET MEMORIES」がB面だったことで知られるシングル。
 「SWEET MEMORIES」は英語詞が多用されてる理由などから、B面にされていた。それがサントリーのCMに使われて、話題沸騰。こっちをA面にしたシングルを切り直したはず。だから、両A面ではないし、松田聖子の25曲連続1位の記録では、「SWEET MEMORIES」を1枚とカウントしているはずだ。
 「SWEET MEMORIES」はまた岡村靖幸がTVで、キーボードひとつで歌ったことでも知られる。
「当時の松田聖子さんは、曲のクオリティーもすごい高くて」
 というようなコメントをくり返ししている。
 で、とうぜん、A面の「ガラスの林檎」

 もうひとつ、松田聖子は歌がヘタだというひやかしがずっとあったが、これも、もう少し大人になって、自分の中で松田聖子のすごさを確認していったときに、松田聖子は歌がうまいとボクは言ってた。
 細野晴臣も言っている。
「松田聖子には何曲か書きましたが、どんな曲を書いても歌っちゃうんです。一回歌うと、もう完成しているんですよ、ほとんど。すごい音感よくて。だから天才かなあと思わせるところがったんです」
 ボクの友人はそれに賛成しつつ、こう反論した。
「でも、デビュー当時はヘタやったで。松田聖子が歌い出したとたん、うちの母親、テレビの角、叩いとったもん。こわれたんか思て」
 ナナメに叩くと直るというのは、『ドラえもん』にも出てくる迷信だ。
 
 
●大貫妙子「夏に恋する女たち」

 作詞/作曲:大貫妙子
 
 
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