小柳ルミ子「お久しぶりね」
作詞/作曲:杉本真人
(33万枚/翌年24位)
これは印象に残っている。ボクらの世代で、小柳ルミ子という人はTVに出てて、名前は知っているものの、なにしている人かはよくわからない人だった。これで歌手だったんだと知って、うまいなーと思ったのは、ひさしぶりのリリースにあたて、♪お久しぶりね あなたに会うなんて~というのは、私演歌といっていいかも。自作じゃないけど。メロディーもキャッチー。
岩井小百合「恋・あなた・し・だ・い!」
作詞/作曲:TAKU
(万枚/年位)
。
かわいらしさと健康的な笑顔、それにキメのポ-ズは最強!この曲によって新人NO.1の座は確定した。浜銀蝿の妹分としてデビューした小百合さん。
なぜ横浜銀蝿の妹分なのかと当時話題になりましたが、イメージとは全く正反対のかわいさでした。 ツッパッてなくてほんとによかったなあ…(笑)。
YMO「過激な淑女」
作詞:松本隆/作曲:YMO
YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)として、最後のシングル。作曲は3人の名義になっているが──細野作品と言っていい。
「中森明菜に書いた曲のボツにした方のモチーフをちょっと引っ張り出してきて、それで『過激な淑女』ができた。そのおかげでYMOが一位をとれなくてうらまれたりした。一位が明菜か聖子の曲で、『過激な淑女』は二位だった」
この〈うらまれた〉というのは、ファン(もしくは、スタッフ)の意味で、ポップな活動の集大成に、YMOはチャートで1位をとる宣言をしていた。
『夜のヒットスタジオ』で振付けして演奏したりしていたのはボクも見た。振付をおぼえたいと思う一方、「君に、胸キュン。」にくらべると、ちょっと地味だった。その地味さが中森明菜用なのか。
念のために言っておくと、細野晴臣はYMOで売れたことを「イヤーなもんですよ」と語っている。
「音楽をやり続けるために、成功するということは大事なことだと思っていたんですね。それでどんどん好きなことができるようになるし、売れていかなければ、いつかはできなくなっちゃうという法則がありますから。そのことで考えれば非常に嬉しかったんですけれど、予測つかないということは人に顔を知られたりとか、いろんな人の耳や目にさらされて、視線に吸収されたり、刺激されたり攻撃されたりとか……」
また、YMOを一つのブランドとして計画もあった
「音楽活動の総称としてYMOブランド、レーベルでもいいんですけども、やっていく可能性が強いなと実は思っていたんです」
●近藤真彦「ためいきロ・カ・ビ・リー」
作詞:松本隆/作曲:筒美京平
(32万枚/年間34位)
●山下久美子「こっちをお向きよソフィア」
作詞:康珍化/作曲:大沢誉志幸
■音楽Topic 1983.07
通称・ファミコン。任天堂の家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」が発売された。
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