中森明菜「禁区」
作詞:売野雅勇/作曲:細野晴臣
(44万枚/年間17位)
83年のYMOは散開を前提に、おじさんアイドルとして活動し、「チャートの1位をとる」という宣言をしていた。ところが、作曲のこの曲が「過激な淑女」の1位を阻止。細野はファンから恨まれた。
チェッカーズ「ギザギザハートの子守唄」
作詞:康珍化/作曲:芹澤廣明
(39万枚/年翌年20位)
〈無印良品〉で知られる秋山道男(48年生まれ)は小泉今日子が若者の代表的になっていく時期の雑誌企画にもいっちょかみをしていたり、ようするに、なんでも屋だ。過去の経歴も、ピンク映画の演出助手、放送作家、テキ屋、PR誌の編集長など雑多で、マンガ家=内田春菊の名づけ親でもある。
そんな彼がいちばん注目を浴びた経歴がチェッカーズの仕掛け人という部分だろう。
地元・福岡ですでに人気のあった彼らを売り出すにあたって、髪の毛をメディアと考えた。そこから、あのフミヤの〈学校の先生から怒られないで、女の子にチヤホヤされる〉前髪の一部だけ長いカリアゲを生み出した。また、ドゥワップのもつスウィートな部分を残しつつ、10代の演歌をならったという。
だが、すぐに広まったわけではない。
♪ちっちゃなころから悪ガキで
という自意識過剰なデビュー曲「ギザギザハートの子守唄」が有名なせいでいまでは忘れられがちだ。これはのちの曲が売れて爆発的な人気となったために、再ヒットしたもんである。
その後の快進撃から、仕掛け人=秋山道男もひっぱりだこになっていくが、チェッカーズのメンバーたちはそうした作られていくイメージに反発し、一種の脱走をして、自分たちの表現を目指していく。
興味深いのは、その自分たちの表現とやらが、べつにそれまでととくに変わるように見えなかったとだ。
さらに、ここでいちど結束しておきながら、リーダーの高杢と中心人物である藤井フミヤの亀裂が深まっていく。バンドとソロになるようなエースのあつれきは珍しくない。無責任な感想をいえば、最盛期に藤井兄弟と小泉今日子のあの娘とスキャンダルなどがあったことが原因じゃないか。つまり、おまえばっかりいい思いしやがってーという。男の嫉妬。業界的には、高杢の方が人望があり、フミヤはけっこうキラわれてるらしい。
チェッカーズがなければKYON2もなかった。新しいアイドル像を打ち立てるに功績はあった。
渥美二郎「釜山港へ帰れ」
作詞:三佳令二(原詞:黄善友)/作曲:黄善友
(30万枚/翌年32位)
ある芸人(日本人)は、カラオケ居酒屋でこの歌を歌い、酔った韓国の若者に「コリアン・ゴー・ホーム」の意味に誤解され、大ゲンカになった。渥美二郎はだいじょうぶだったんだろーか。
THE MODS「激しい雨が」
作詞:森山達也/作曲:THE MODS
マクセルカセットXLシリーズCMソングとして全国にオンエアされ大ヒットしたナンバー。このCMにメンバー自身もイメージキャラクターとして出演した。サビの激しいが売り。
The Good-Bye「気まぐれ ONE WAY BOY」
作詞:橋本淳/作曲:山本寛太郎
野村のヨッちゃん、初のシングルはバンド名義だった。ロック志向が強く、のちにギタリストとして、たのきんメンバーでは、いちばん長く現役感をもった活動をすることになる。ジャニー喜多川にスカウトされて、芸能界に入ったが、内面的には、アイドルとはちがう人だったってことだね。
●長渕剛「GOOD-BYE青春」
作詞:秋元康/作曲:長渕剛
(24万枚/年間49位)
■音楽Topic 1983.09
24日。『イタダキマン』がついに、おわってしまった。全20回という短命におわった。これがタイムボカン・シリーズの命日である。
26日。7月につづき、YMOが『夜のヒットスタジオ』に登場。前回は「過激な淑女」と「WILD AMBITIONS」、今回は「以心電信」を演奏した。
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