『毒薬と老嬢』は名監督の異色コメディ

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 これは『我が道を往く』とおなじ1944に発表された真逆と言っていい作品だ。3年後に世に出たチャップリンの『殺人狂時代』とならんで、映画史上、ブラック・コメディの先駆とされる。監督は『オペラ・ハット』や『スミス都へ行く』など、ヒューマニズムと社会風刺のコメディで知られたフランク・キャプラ。彼はまた『或る夜の出来事』というロマンティック・コメディの元祖も手がけている。

 双葉十三郎の『ぼくの採点表』でも、傑作の評価(☆☆☆☆)を得ているが、双葉評によれば、シナリオの9割方は、原作の舞台劇のままだという。導入部他の画面に広がりをつけようとしたシーンがいくつか加えられているだけで、しかも、途中に挿入されたシーンは成功しているとは言いがたい。
 とすれば、傑作なのは舞台の方であって、映画は失敗じゃないかとなりそうなところだが、ケーリー・グラント主演の強みがある。

 以下、双葉評を参考にしながら、舞台と映画のシナリオ作りのちがいについて考えてみたい。言い換えると、舞台を脚色する場合だけでなく、映画には、ストーリーを運ぶ明確な主人公というものが求められる。したがって、主人公のパーソナリティも重要だ。
 コメディにはコメディアンを必要とするものとしないものがあり、シチュエーション・コメディは主人公が状況にきりきり舞いするおかしみが主眼となる。

 『毒薬と老嬢』の場合、シチュエーション・コメディというより、双葉評を借りれば、〈スリラーの茶番化〉〈ファース〉だが、ケーリー・グラントのリアクションが笑いを呼ぶ仕掛けになっている。おかしな連中が次から次へと出てくるこの映画で、まっとうなのは主人公とその恋人だけ。彼らのリアクションは漫才におけるツッコミに相当する。
 演出や演技のタイミングが重要だが、シナリオもそこを理解していないと笑えない。
 
 
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■監督: フランク・キャプラ
 
 
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