1984年12月発売のヒット曲と話題

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とんねるず「一気!」

 作詞:秋元康/作曲:見岳章
 (万枚/年位)

 これで、とんねるずの知名度は一気に全国に広がった。深夜番組『オールナイトフジ』の構成をしていた秋元康が作詞家兼プランナーとして、とんねるずも歌手デビューさせてしまう。その後、秋元康は『夕やけニャンニャン』で、おニャン子クラブというアイドル・グループを世に送り出した。
 
 

小泉今日子「スターダスト・メモリー」

 作詞:高見沢俊彦、高橋研/作曲:高見沢俊彦
 (37万枚/翌年14位)

 人気のアルフィーを迎えてヒットしたが、正直曲の印象はうすい。

風見慎吾「涙のtake a chance」

 作詞:荒木とよひさ/作曲:福島邦子
 (22万枚/翌年45位)

 いわゆる欽ちゃんファミリーで、アイドル的人気があった。
 
 
■音楽Topic 1984.12

 年末の有馬記念で、シンボリルドルフが5冠を達成したのが、この年。うちの父親が日曜日のTVで競馬をよく見ていたので、ボクはテンポイント、トウショウボーイのころから知ってる。いちばん好きだったのはこの馬で、ボクは先行逃げ切り型よりも、最後に追い込んで刺す馬のザマアミロ感が好きだ。この馬がそうだった。父親といっしょにTVを見るなんて、このあたりが最後。

 国連はエチオピアで30万人が餓死寸前と発表した。

 この年の年間1位は、わらべの「もしも明日が・・・」(83・12)で97万枚。ミリオンが出ない時代のはじまりである。歌謡界不況を反映して、レコード大賞は演歌ばっかりである。なんとか、そこで食いつなごうとしているのがミエミエ。もともと、レコード大賞は大みそかの放送(TBS)で、このころくらいまでは紅白歌合戦(NHK)と半ば連動していた。それにしても、この年の受賞リストは実感とほど遠い気がする。

 大賞は五木ひろし、36才。細川たかしには気を使って、最優秀歌唱賞をあげている。これが政治的だなと思うのは、木村友衛「浪花節だよ人生は」(81・06)の歌い直しだからで(細川さんに歌っていただくことで、スタンダードになったってことか)、やむをえず、木村友衛には、この年になって特別賞をあげている。他にも、金賞には「北の蛍」の森進一37才や小林幸子+美樹克彦、企画賞で琴風・石川さゆりのデュエット3部作が並んでいる。

 言いたいのは、保守化、ということだ。中曽根・レーガンなのだ。78~79年ごろのレコード大賞の顔ぶれとはぜんぜんちがう。ニューウェーヴは反映してなくても、洋楽チックな新しい息吹はあった。

 近田春夫の『POPEYE』での連載〈気分は歌謡曲〉もおわった。
 
 
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