1984年02月発売のヒット曲と話題

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芦屋雁之助「娘よ」

 作詞:鳥井実/作曲:松浦孝之
 (58万枚/年間7位)

 結婚式で父親が歌う定番ソング。ホントに歌うと恥ずかしいぐらいの定番だが、結婚式とはそういうものなので、やっぱりみんな歌う。

 演歌としては、レコード大賞をとった五木ひろしの「長良川艶歌」(84・04)の2割増しぐらい売れた。息が長いと言われる演歌らしく、翌年までチャートに入っている。

 芦屋雁之助は役者さんで、芸術家=山下清がTVでの当たり役だ。彼にやると大物歌手たちが怒ると思ったのだろう。たまが売れたとき、ドラムが「山下清だ」と言われたが、みんなの言ってる山下清は芦屋雁之助なのだ……。
 
 

郷ひろみ「2億4千万の瞳」

 作詞:売野雅勇/作曲:井上大輔
 (21万枚/年間61位)

 ヒロミ・ゴーは、この月、80年代の代表作とされる「2億4千万の瞳―エキゾチック・ジャパン」を発表。JRとのタイアップだった。大して名曲とは思わない。
「ジャパン!」
 ってキメのフレーズで、みんな、おぼえてるだけで。あそこはたしかに郷ひろみならではの歌唱だけど(こういうのこそ、歌唱賞だよね、ホントは)。逆に言えば、歌の魅力は乏しい。
 
 

吉川晃司「モニカ」

 作詞:三浦徳子/作曲:NOBODY
 (33万枚/年間22位)

 お下劣な替え歌が流行っていた。サビの♪サンクス サンクス サンクス~のところを……以下略。
 
 

ムーンライダーズ「M.I.J.」

 作詞:DIANE SILVERTHORN/作曲:岡田徹

 DEAR HEARTレーベルからアルバム『アマチュア・アカデミー』に半年先駆けて出されたシングル。

 このあたりからのムーンライダーズ・ファンは第2世代と呼ばれる。5年のブランクのあと発表されたアルバム『最後の晩餐』(91)以降が第3世代だ。

 ついに20世紀中にシングル・ヒットを出さなかったムーンライダーズにとって、いちばん売れたシングルがこれ。「M.I.J.」は資生堂パーキージーンのイメージ・ソング。C/Wの「GYM」(作詞・作曲・編曲:鈴木慶一)は資生堂サイモンピュアのイメージ・ソング。

 たしか大槻ケンヂだったと思うが、四半世紀にもわたってシングル・ヒットを出さずに存続したムーンライダーズを「日本のロック最後の良心」と呼んでいた。

 彼らはさまざまなアーティストのプロデュースやCM・映画音楽なども手がけるが、そういった番外編の活動も地味なところがはっぴいえんど~YMOあたりの連中とちがうところであり、より一層、通好みな存在に押しやるのだろう。一方で、糸井重里などとの交流もあり、『びっくりハウス』にかかわっていたり、語りたくなれば語ることはいくらでもある。

 そのへん、ムーンライダーズのファンであることは、落語ファンであることに似ている。落語はたしかに面白いが〈自称・落語好き〉のやつとはあんまり友だちになりたくない、という感じ。つまり、(ムーンライダーズのファンなおれってカッコいい?)的下心によくマッチする。

 では、ムーンライダーズはどういう聴き方をするのがいいか。個人的には、『20世紀のムーンライダーズ』(音楽之友社)に収録されている江口寿史の『火の玉ボーイとワシ』みたいなのがいいなあ。
 
 
●松任谷由実「VOYAGER~日付のない墓標~」

 作詞/作曲:松任谷由実
 
 
■音楽Topic 1984.02

 戸川純がラフォーレミュージアム原宿でライヴ。このときの映像にプロモ作品を収録したものが『玉姫伝 ライブ含有』(ビデオ作品)として6月に発売された。ヴィジュアルの要素も強い戸川純を知るには最適。

 細野晴臣と平沢進をつなぎ岡村靖幸主演映画にまで登場する。までアンダーグラウンドという言葉があるが、TVなどで流すには危険な紙一重の感じ。
 
 
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