1980年04月発売のヒット曲と話題

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谷村新司「昴」

 作詞/作曲:谷村新司
 (65万枚/年間12位)

 過去、世界進出をもくろんだロックバンドは数多くあれど、目的をはたしたバンドはほとんどいない。それなのに、谷村新司の「昂」はタイのオカマ・ショーで歌われている。ワールドワイドな曲である。本人は図に乗って、これを「マイ・ウェイ」みたいな歌だと言っている。まあ、「マイ・ウェイ」というのは、ある種ダサい歌の代名詞なんだが。

 「昂」がアジアで受けるのは、根が演歌ってことだろう。このあたりから、人気のあるフォーク歌手は演歌的なモラルの曲を歌うようになった。

 「昂」はヘンな歌で、〈ああ砕け散る宿命の星たちよ せめてひそやかに その日よ おわれよ〉なんて、おまえに言われたないわっ! とゆーようなサビだ。比喩のつもりだろうとはいえ、人間が星を見下すという発想はちょっとない。しかも、寿命の面で。彼なりに流行のSFを取り入れたかったのか。

 ついでに言うと、さだまさしや松山千春といった人たちはコンサートでのしゃべりが長いことを売りにし、彼らにかぎらず、ラジオの深夜放送のパーソナリティーはほとんどフォーク歌手だという時代があった。佐野元春の♪おしゃべりなDJもういいから いかしたミュージックつづけて もっと~という歌(「悲しきRADIO」)はそんな世の中への異議申し立てだった。

 そういうDJの関西代表が谷村新司とばんばひろふみだ。『セイヤング』で人気の出たコンビだが、ボクらの世代だとヤンタン金曜(=『ヤングタウン』MBS。『オールナイト・ニッポン』みたいなの。放送時間は22:00-1:00)。ヤンタンの金曜は、あのねのねの担当する水曜とならんで、エロいことで有名であり、三田寛子が女性アシスタントをやっていた時代、ボクの友人は、

「あいつ、途中で『いやっ』とか『あん』とか意味不明の声出すやろ。あれ、ぜったい谷村新司とかに体さわられとんねんで」

 と言っていた。もっとも、ヤンタンがおわって以降もヴァラエティー畑にいるバンバンとちがい、谷村新司は歌手として、自分の値打ちを高める方向に向かった。いまでは谷村新司を「チンペイさん」と呼ぶ人間などほとんどいない。そうした方向の遠いきっかけになっているのが、この「昂」や山口百恵に提供した「いい日旅立ち」(78・11)の文部省推薦的な路線だろう。
 
 

クリスタルキング「蜃気楼」

 作詞:天野滋/作曲:山下三智夫
 (54万枚/年間16位)

 一発屋というのは、じつはその次の曲ぐらいまでは売れているもので、これもそう。80年代において、50万枚オーバーとは、相当なもんである。『ザ・ベストテン』で歌ってた姿もおぼえているが、歌そのものは見事なほど記憶にない。しかし、クリキンはだいたいにおいて、不遇時代にイヤ気がさし、賞狙いで「大都会」を作ったというから、ある意味本望だろう。高音担当の田中昌之はのちにノドを痛めるという不幸に遭遇する。
 
 

松村和子「帰ってこいよ」

 作詞:平山忠夫/作曲:一代のぼる
 (53万枚/翌年17位)

 これは演歌というより民謡ですね。非常に印象の強い一発。演歌ぎらいの子供もこれは好きだった。もっとセールスがいっててもおかしくない曲。松村和子がやせていたのが新鮮で、三味線をもって歌う姿はロックシンガーであってもおかしくない。いちどの舞台で解散した知り合いの漫才コンビは10年後にこの歌をギャグにしていたが、大御所の漫才コンビとネタがかぶっていたという。
 
 

八代亜紀「雨の慕情」

 作詞:阿久悠/作曲:浜圭介
 (41万枚/年間26位)

 ♪雨 雨 ふれ ふれ もっとふれ~ですね。これもじっさいのセールスより印象が強い曲。なにかというと、賞にノミネートされる八代亜紀に(というか音楽業界のシステムに)うちの母親は憤っていた。彼女は西城秀樹のファンであって、ポップス派なのだ。ボクは八代亜紀の顔がキライだったんだけど、いま思うと、完全にホステス顔で、それが人気の秘密でもあったんだろう。そこから逆算すると、松村和子は子供ウケだったのかも。
 
 

松田聖子「裸足の季節」

 作詞:三浦徳子/作曲:小田裕一郎。
 (28万枚/年間50位)

 80年代アイドルの典型となった松田聖子のデビュー曲。のちの成功から思えば、この時点では、まだ一部の注目にとどまっていた。
 
 
●沢田研二「恋のバッドチューニング」

 作詞:糸井重里/作曲:加瀬邦彦
 (17万枚/年間86位)
 
 
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