国民的ベストセラーとかいう(読んでないおれは非国民か?)リリー・フランキー『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』は大ヒット映画『ALWAYS 三丁目の夕日』とともに〈昭和30年代泣ける東京〉ブームの雄である。
これをフジテレビが2hドラマ化。見てみようと思ったのは、直前の番宣で田中裕子が「おかん」役と知ったからだ。しかも、もともとは久世光彦企画だっただなんて。おかげで、少し好意的に観てしまったではないか。
なんでも、欽ちゃん球団に所属していた淫行芸人が出演していたため、その部分を撮り直し、放映延期になっていたとか。
妻役は広末涼子。子供連れて別居騒動の渦中にあり、マスコミ受けがよくない。が、ボクは意外に好きだったりする。ファンではないし、デビュー当初は反発していたが、あの顔はつい見てしまう。これも久世光彦のキャスティングだったのだろうか。
童顔ヒゲ面の原作者の分身を演じた大泉洋がピッタリなのは観るまえから想像ついた。かつて、『パパパパパフィー』でいじられてた。ライン的にはユースケ・サンタマリアに近いが、ユースケが要領よさげなのに対し、不器用そうなところがちがう。なぜか岡村靖幸を思い出した。世間的なイメージはまだアカがついてないので、これを機に露出が増えるかもしれない。
田中裕子はまあ田中裕子ですわ。この人は『おしん』だとか、どうしてボクの性に合わんドラマに出ては好演するのか。
演出は、これが久世光彦なら……と考えぬでもないが、必要以上にベタベタしてなかったので、最後まで見てしまった。原作の「泣ける」という評判からすると、演出か、脚本のせいか、もとの原作がそういうものなのか、そういう感じではなかったなー。
だいたい、これって、端的にマザコンの話ではないか。女性の人たちはなにがキライって、マザコンぐらいキライなものはなかったんじゃないのか。それでも、語り手が横文字職業だったり、ベストセラー作家だったりしたら泣けるのか。
ボクがどうして『東京タワー』やいくら長澤まさみが出ていても『世界の中心で、愛をさけぶ』を認める気になれないのかという違和感は、たまたま少しまえに読んだ、双葉十三郎の『エリックの青春』(75☆☆☆★)というTV映画評が代弁してくれているので、紹介しておく。
「……しんみりと見られる映画なのだが、ぼくはこういう題材にぶつかるといつも抵抗を感じる。もともと病気を扱った映画がきらいなのは、病気なんて現実だけでたくさん、という気持ちがあるからだが、社会的なドキュメンタリーなどならともかく、死病をお涙頂戴の道具に使われるのは、とくにやりきれない」
ところで、この原作者、世間での扱われ方の格があきらかにあがった。古くはナンシー関との対談本があり、YMOのメンバーが集まる番組に出るなど、以前からあちこちに顔を出してたが。先日、NHK教育がやった人気俳優の追悼番組では、ピントのズレた批評を語っていた。おまえの思い入れなんて聞きたくねえよって感じ。その点では、『スマステ』の特集で、おなじ俳優についてしゃべった爆笑問題・太田の方がずっとよかった。
■再投稿(初出2006.11.19)
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