米朝は関西人の祖国だ

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上方落語 桂米朝コレクション〈3〉愛憎模様 (ちくま文庫)

 桂米朝が3月19日夜に亡くなった。
「人間国宝」
 なんて称号に重きをおいていないが、この人はホントに国宝と言っていい。老いてもなお、ロックンロールな反骨精神を忘れなかったのが見事である。
 米朝というと、その最大の功績は、上方落語の復興だが、その多くを文字や音声、映像として残したのが偉かった。現在古典とされているものの大半は米朝の創作落語に近い。

 落語は話芸が前提になってるので、それを文字にしても、文学とは言えないのだが、あの語り口をそのまま読めるというのは、一級の文学作品だ。昭和の古事記である。たとえば、『たちぎれ線香』など現代では成立しない不自然なストーリーなのに、何度読んでも泣ける。落語に限らず、舞台芸は生で見てナンボだが、米朝落語は映像で見ても、ちゃんと笑える。『はてなの茶碗』なんて、文字で読むと、それほどおもしろくないのに。

 大ネタと呼ばれるような噺は、内容が豊かで、笑いも多く盛られているが、そぶん複雑で、さまざまな人物を演じ分けなければならないところに落語のむずかしいがある。繁昌亭ができたところで、生で見たってつまらない落語家はいくらでもいる。ヘタの落語でも笑うのは、米朝やその大衆版である愛弟子・枝雀が過去にたくさん笑わせてきた威光によるものだ。生身の米朝は去っても、各種メディアに魂が残っているのが現代の幸せだ。

 シオランの言葉を借りれば、祖国とは、国語だ。我々は米朝落語の国に住む。日常、口にする言葉があれほど洗練されていないにしても、伝統は残っている。米朝が記録してくれた喜六の戯言が、清八とのかけあいが、情けない若旦那と哀れな小糸の恋とかが、本のページを開くだけでいまでもよみがえってくる。その死についてのコメントを求められた人たちの、さて、何人が『地獄八景亡者戯』を引き合いに出すだろう。

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