○作詞:加川良
○作曲:加川良
1972年11月発売(万枚/年間位)
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なぜか突然フォーク、しかも、加川良に挑戦した。
畠山みどりは、62年6月のデビュー作「恋は神代の昔から」から「ちょうど時間となりました」(62・10)、「あんたこの世に何しに来たの」(63・07)の星野哲郎、「ツキツキ節」(63・07) 、「バカはバカでも粋なバカ」(64・01)の西沢爽、「恋は買いもの腕しだい」(64・01)、「東京で何かあったのね」(64・08)、「出世子守唄」(66・02)の関沢新一などの大物作詞家が手がけた曲を歌って、この時点で何十枚とシングルを出していた。タイトルだけ比べても、ずいぶんとちがう世界なのはわかるだろう。もっとも、新しいもの好きの美空ひばりが岡林信康を起用したのは、もっとあとだから、歌謡曲サイドからのフォークの取り込み例としては、最初のひとつだろう。
さて、岡林信康の後継者と目された加川良のアルバム『教訓』(71)は〈その時代の名盤〉ってやつで、のちの時代の人間にとっては、ストレートにグッとくるわけではない。
たとえば、ベトナム反戦をきっかけに盛り上がったアメリカのフォークと同次元で日本人が反戦歌を歌うことには疑問がある。戦争反対は時代や地域にとらわれない永遠不変のテーマか知らんが、数年後には、もはや日本でだれも反戦フォークなんて歌ってない。このアルバムが最後ぐらいだ。
加川良『教訓』の価値はそれとはべつなところにある。歌詞カードに記された多彩なミュージシャンの顔ぶれを見ても、それはわかる。
「僕たちはよく聴いていましたから。高田渡と加川良と遠藤賢司は非常に好きだったんです」
と細野晴臣は語っている。加川良はとくに高田渡に近い。アルバムにも、高田渡(唖蝉坊)の「あきらめ節」が入っている。反対に「ゼニの効用力について」は高田渡が歌っていたはずだ。2人の共通点はユーモアを含んだ表現にある。
♪青くなって しりごみなさい
にげなさい かくれなさい
が「教訓Ⅰ」のサビだ。〈逃げろ〉って歌ったのは清志郎より早い。