1971年2月発売
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日本民謡にスポットをあて、現代風のアレンジをほどこすことで、多くの人の親しまれたヒット曲。
C/Wの「翼をください」を小学生のころに歌わされた記憶がある。フォークソングの類が学校教育の現場にも浸透しだしたころだった。歌わされる方としては、学校でやらされる歌=つまらない歌だったので、興味はもてなかったが。こういう感動っぽい歌は──その背景を説明されたりするとよけいに──単純な小学生が「いい歌だ」と信じこまされたりする。まあ、そのことじたいは、赤い鳥とは関係ない。
大雑把に分ければフォーク系だが、のちには、村上ポンタ秀一や大村憲司も在籍した、ちょっと特異な位置のグループ。アルバムも日本語の暗い曲とビートルズ、バカラック、サイモン&ガーファンクルの洋楽カヴァーが混在する奇妙な作りだ。
70年6月にシングル「人生」でデビュー。これは「竹田の子守唄」のメロディに山上路夫がちがう詞をつけたもの。デビューのきっかけとなったコンテストで、赤い鳥が「竹田の子守唄」と「COME AND GO WITH ME」 を披露したところ、審査員は今まで聴いたことがなかった「竹田の子守唄」に衝撃を受けたと言われる。
叙情的なメロディと歌詞は評判となり、フォーク界の大御所=森山良子や加藤登紀子もカヴァーした。
ところが、どうもこれは京都の竹田という部落で作られた歌らしいってことになり、じょじょに世間から消えていった。いわゆる差別方面ですね。このへんの事情ははるかのち(2000年)に出版された森達也『放送禁止歌』にくわしく記されているので、興味のある人はどうぞ。
「子守唄」といっても、正確には「子守りをする人の唄=守り子唄」であって、労働歌……すなわち、黒人たちのブルースみたいなもの。暗い歌ながら、ユーモアもあるとこなど、まさにブルースだ。
もっとも、赤い鳥が収録した「竹田の子守唄」は正調ではない。尾上和彦が東京芸術座の舞台『橋のない川』のために現地のお年寄りから採譜したものを関西フォークの歌い手たちがいろんな要素を加えたりしながらライヴで演奏していた。それを赤い鳥がレコーディングしたわけ。
赤い鳥分裂後、後藤悦次郎・平山泰代夫妻は、紙ふうせんを結成する。2000年の新譜『サンジュアム』には、15番まである原曲の「竹田の子守唄」が収録されている。