九重佑三子「くちづけからもう一度」

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 ○作詞:なかにし礼
 ○作曲:鈴木邦彦
 ○編曲:

 1970年10月発売(万枚/年間位)
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 62年に、ダニー飯田とパラダイス・キングの一員として世に出た。坂本九もこのグループから出ている。日本のポップス史上、重要な存在だ。九重佑三子は翌年2月の「シェリー」がデビュー曲。これは漣健児訳詞のいわゆるカヴァー・ポップス。
 日本の歌謡史における洋楽メロディorリズムとなると、作曲家・服部良一と歌手・笠置シヅ子のコンビからはじめなきゃならない。が、のちの日本語ロック&ポップスに直接の影響をあたえたのは、60年代初頭のカヴァー・ポップスの数々だ。
 ようするに、洋楽のメロディに日本語を乗せていたわけだから。この手法がGSに受け継がれ、キャロルなんかが日本語、英語のチャンポン歌いを確立した。なかでも、とくに重要な訳詞家が──その働きはほとんど作詞家と言っていい──漣健児=サザナミ・ケンジだ。桑田佳祐や山下達郎はハッキリとリスペクトを表明している。
 また、古いもの、古い時代は、いまよりダサかったり暗かったりしたと思ってしまいがちだけど、60年ごろとこの70年ごろをくらべると、60年ごろの方がぜんぜん明るい。歌唱力にしたって、弘田三枝子なんかは、オリジナルのコニー・フランシスよりうまかったと言われる。彼女は『シャボン玉ミコちゃん』なんてドラマもやってたし。全体に、あのころの方がポップで、このころになると藤圭子やクールファイブなど人気者がみんな演歌やムード歌謡になっている。
 話を九重佑三子にもどすと、彼女は人気アイドルとして、ドラマ『コメットさん』(67~68)など順調に活躍していた。
 ところが、前年8月に創刊されたおじさん週刊誌『週刊ポスト』10月9日号で、彼女は〈衝撃の告白〉をする。
 21才での初体験から数々の男性遍歴、さらには目の整形まで──現在のボクらが抱いてる芸能人の裏側イメージの原型と言っていい──それまでの『週刊平凡』や『週刊明星』といった芸能週刊誌にはぜったいに載らなかったタイプのネタであり、大衆はショックを受けた。いまだに言葉として残っている〈衝撃の告白〉というのは、『週刊ポスト』のコーナー名だったのだ。
 ショックを受けたのは大衆だけではない。スポンサー関係やらなんやらの怒りにふれ、九重佑三子の芸能生命は風前の灯火となる。
 でも、なんでこんなことをしゃべったのか……じつは、フラれたマネージャーが腹いせでねつ造したデッチアゲ記事だった。目の整形の事実はあったらしいが、これは筋無力症という病のために、事務所によって命じられたものだったという。
 どうしょうもないマネージャーもあれだけど、その悪意が効力を発揮してしまう世の中って……このゾッとする現実を知った上で、この歌のタイトルを見てみよう。くちづけからもう一度。涙が出てこないか。

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