ヨコジュンこと作家の横田順彌が亡くなった。 2019年1月4日、享年73。ファンには、少したってから知らされた。古典SFや明治文化の研究者としての功績も知られ、そちら方面での読者も多い。が、ボクにとっては、なんといっても、ハチャハチャSFのヨコジュンである。
ただし、ハチャハチャSFに関しては、唯一無二の存在なので、なにをもってハチャハチャSFというかは、ファンの見解にもバラつきがあるのではないだろうか。
ボクは作家や芸能関係の人が亡くなってから大騒ぎするのがキライなのだが、ヨコジュンは別格である。まだヨコジュンを知らない冗談好きの人がいたら、ぜひ読んでみて欲しい。
ここで、〈冗談好き〉とあえて言ったのは、たぶん、マジメな読書好きの人には合わないからだ。むしろ、落語ファンの方が相性がいいだろう。SFで落語というと、小松左京だの筒井康隆だのを思い浮かべる人があるかもしれないが、小松左京の文明批評も筒井康隆の実験臭もいっさいない。ただ、純粋にフザケている。
では、ボクの考えるヨコジュンとはどういうものか。ブックガイドの形で紹介しよう。
(1) ヨコジュンの最高傑作「真夜中の訪問者」
ボクにとってのヨコジュンとのファースト・コンタクトは、彼の最高傑作だった。
「なにがびっくりしたといって、横断歩道が俺のアパートを訪ねてきた時はびっくりした。」
という書き出しを読んで、この先を読んでみたいと思わぬ者は、ヨコジュンの笑いとはいっさい無縁である。
この「真夜中の訪問者」が巻頭におかれた短編集『対人カメレオン症』は変身譚でまとまっているので、そういう意味でも入門にうってつけ。
(2) ヨコジュンの最爆笑作「おたまじゃくしの叛乱」
世に〈爆笑〉と宣伝されるもので、笑わされるものはまずないが、これは本気で笑いが止まらない。下ネタ中心ではあるが。
この「おたまじゃくしの叛乱」が巻頭におかれた短編集『脱線!たいむましん奇譚』は、『対人カメレオン症』のまえに出たものだが、よくも悪くもヨコジュンらしさに満ちている。
(3) ヨコジュンのSF短編「海野君の場合」
上の2つは、ヨコジュンのハチャハチャSF(ないし、その進化系)なので、少し一般向きなものも挙げておく。
短編集『天使の惑星』は、ヨコジュンと知らなくても読める作品集。「海野君の場合」は個人的に好きな作品。
(4) ヨコジュンのハチャハチャSF「宇宙ゴミ大戦争」
さっきから、ハチャハチャSF、ハチャハチャSFっていったいなんなんだという人は、まず、この源流からどうぞ。
ヨコジュンの数ある短編はハッキリ言って玉石混淆だが、いったん、ファンとなれば、ひとつのダジャレのために本を買いあさり、完成度などどうでもよくなる。
(5) ヨコジュンの明治モノ長編SF『火星人類の逆襲』
ヨコジュンは本質的に短編作家と思うが、長編を書いて破綻するということはない。明治時代とSFをドッキングさせた長編。
押川春浪と天狗倶楽部の面々がイキイキと活躍するが、SF古典のパロディでもある。同趣向の『人外魔境の秘密』はクライマックスがおもしろい。
『火星人類の逆襲』 ⇒ こちら
『人外魔境の秘密』 ⇒ こちら
(6) ヨコジュンの古典SF研究書『日本SFこてん古典』
ヨコジュンの小説家以外の側面を、ということで、むしろ、こちらでの業績が名高いかもしれない。ここまでくれば立派な学問だ。
高校時代に、明治の作家・押川春浪の『海底軍艦』を知って以降、いわゆるSF普及以前にSF的発想で書かれた日本の戦前作品を研究するようになったということ。
(7) ヨコジュンの明治文化エッセイ『明治不可思議堂』
SFの古典をたどり、周辺文化を知ろうとするうちに……ということなのだろう、明治に関する著作も多い。
小説家として明治人をキャラ化する一方、エッセイストとして、客観的な紹介もおこなっている。ユニークな人物紹介が中心で、興味深い。
(8) ヴァラエティ・エッセイ『ヨコジュンのびっくりハウス』
日本の文学史において、SFはちょっと特殊な地位にある。その黎明期の特徴に、作家と読者の関係の近さがある。
いまでいうと、コミケなどの同人作家とファンの関係に近い。SFとコミケも重なる層がある。これはSFファン的存在だったヨコジュンの日々を記したエッセイ。