ロリコンとロリータ・コンプレックスのちがい

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 10代のころに、『ロリータ』を読んで以来、世の中における「ロリコン」という言葉の誤用と氾濫には、うんざりしてきた。ただ、「ロリコンって言い方はまちがってる。使われ方がおかしい」といったことを指摘したところで、「そのくらい知ってるよ」という人間も一定数いるので、わざわざ注意してまわるのもアホらしいし、キリがないからと放っておいた。そうしたら、世間ってのは、すごいね、と思い知らされるハメになった。

 言葉に鈍感な人間が「ロリコン」と口にしているだけならまだしも、「ロリコン」の定義もロクに知らず、そのくせ、こうだと思うよ的な無責任なデタラメを広めている。たまたま、SNSでそういうやりとりをしてるのを目にして、ボー然としてしまった。わかってない人間がひとりいて……ってレベルじゃなく、どいつもこいつも、なのだ。さすがに、知っててあたりまえのことを教えなあかんかという気がしてきた。

 「ロリコン」という言葉は何重にもまちがって使われている。「ロリコン」を「ロリータ・コンプレックス」の略だと思っている人が多いが、まちがい。「ロリータ・コンプレックス」は少女を愛好する男性のことだ、という認識もまちがい。「ロリータ」と呼ばれる少女に対するイメージもまちがい……というシッチャカメッチャカの状況だ。もはや、「ロリコン」の意味は、まちがっている説明の方を正しいとせざるをえないほどである。

 「ロリコン」は、いちおう、「ロリータ・コンプレックス」に由来する。言葉の上では、その略かもしれないが、意味をちがえてしまっているので、「ロリコンは、ロリータ・コンプレックスの略」と言うと、まちがいになる。では、「ロリータ・コンプレックス」とはなにかというと、小説『ロリータ』に由来する心理学用語。ひとことで言えば、「ロリータのようになりたい女の子」をさす。男の方ではない。

 これは「シンデレラ・コンプレックス」という用語を考えれば、わかる。シンデレラ・コンプレックスは白馬に乗った王子様を待ちこがれる「シンデレラのようになりたい女性」をさす言葉である。

 小説『ロリータ』は、ロリータという少女と関係をもった男性の手記という形をとっている。男は「ハンバート・ハンバート」と名乗る。だから、ハンバート・コンプレックスと呼ぶなら、まだ原典に近い。

 ところが、「マザコン」とおなじ一種の和製英語のような感じで、「ロリコン」という言い方が定着してしまった。いま流布している「ロリコン」は1980年代に急速に広まった俗語である。ロリコン・マンガ、ロリコン・アニメなるものの人気が出た影響が大きかった。そこで展開される内容は、児童ポルノ的ななにかであって、源流であるはずの『ロリータ』とは、かけ離れたものになってしまった。

 さらには、ロリータ・ファッションなんてものまで出てきて、もはや、固有名詞であるはずのロリータに「少女」という意味があるかのような扱いである。そのセンスは、『ロリータ』とはほど遠い。

 ナボコフ『ロリータ』には、以下のように記されている(以下の引用は、大久保康雄・訳)。

ここで私は、つぎのような考えを披露したいと思う。それは、少女は九歳から十四歳までのあいだに、自分より何倍も年上のある種の魅せられた旅人に対して、人間らしからぬ、ニンフのような(つまり悪魔的な)本性をあらわすことがあるという考えだ。この選ばれたものたちを「ニンフェット」と呼ぶことにしよう。

 さらに、こういう記述がある。

この年齢制限内の少女はすべてニンフェットなのだろうか? むろん、そうではない。

 つまり、ハンバートの対象となる少女には、9~14才という厳密な制限がある。しかも、その範囲におさまっていればだれでもいいわけではなく、特別な(悪魔的な)魅力をもった選ばれし少女のみだ。それに関しても、〈美貌などというものは全然その基準にならない〉し、もっとくわしく知りたければ、直接本文を読むといい。

 ボクは『ロリータ』という小説が好きなので、日本という国で特殊な誤用がものすごく流布していることに、イライラする。

 言いたいことはいろいろあるのだが、ひとまず、ここまで。


 
 
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