徴兵検査まえに一人前の職人になっておこう

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 若いころは進路に悩むものである。桂米朝の全集に、ヒントとなるような文章が載っていたので、紹介しておこう。雑誌に寄稿したものを再録するにあたって、「まえがき」がついている。その中の言葉だ。

難しいことも辛いことも半分の苦労ですむ

 昔の職人は徴兵検査まえに一人前の日当がとれなければ、
「小商いにでもなったらどうや」
 と転職をすすめられたそうだ。手に職がつかなければ、商人にでもなるしかない。

 成人式が徴兵検査のかわりに導入されたものだということは、ちがう人の文章で知っていた。つまり、10代のうちに、ということだ。いまであれば、大学に進学しようかというころには、一人前になっていた。

 てことは、高卒で就職したとしても、昔の感覚で言えば、おそいわけだ。大学で教養を教えるのをやめようとか、文系の学部をなくそうとか、小学生に英語をやらせようとか言ってるのは、ズレてるんである。

「十代にやれば、難しいことも辛いことも半分の苦労ですむのです」
 と米朝は書く。なぜ、勉強しなきゃならないのという小学生レベルの質問には、これでじゅうぶんである。

周囲に反対されても

 役人の考えることなんてロクなもんじゃないのに、戦後の風潮に乗せられた人たちによって、古い習慣がムチャクチャにされた。習慣というのは、知恵の別名である。大事なことを教えてくれる大人はどんどん亡くなる。

 桂米朝は上方落語の火を消すまいと、古い芸をもった人たちが亡くなるまえに記録しつづけ、再興した人である。じつは米朝自身は落語家として入門したのがおそかった。19才で軍隊に召集されている。反戦まぎわ、若者を殺すためにどんどん戦場へ送り込んでいた役人は、数がたりなくなったので、19才になったら殺すことにしたんである。そんな時代にあっても、入隊まえの学生時代に、講談の会などを催している。

 敗戦のおかげで、なんとか死なずにすんだ青年(のちの米朝)は、はじめ周囲の反対にあって、フツーに就職したが、けっきょく、落語の方が彼を呼んだ形で、師匠・四代目桂米團治のもとへ正式に入門する。

「10代のうちに……」
 という言葉はそんな自身の体験が裏にあるにちがいない。このとき、師匠に言われたセリフを桂米朝は何度も記している。

「末路哀れは覚悟の前やで」
 
 
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