1972年02月発売のヒット曲と話題

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二葉百合子「岸壁の母」

 作詞:藤田まさと/作曲:平川浪竜
 (77万枚/76年5位)

 ヒットまで時間のかかる曲というのはあるが、これはまたとびきりで、4年後だ。ま、映画がらみだけど。でも、これリメイクなんですね。それも20年ぶりってことらしい。出征した息子の帰りを待つ、という内容は横井庄一ブームをあてこんで? にしてはタイムリーすぎるか。♪母はきました 今日もきた~はみんな知ってるだろう。その価値観の古さをからかいたくなるのか、コント番組などで、よくパロディ的に使われていた。
 
 

ビリーバンバン「さよならをするために」

 作詞:石坂浩二/作曲:坂田晃一
 (66万枚/年間3位)

 兄弟ユニット。69年のデビュー曲「白いブランコ」がヒット。この曲で、オリコン1位を獲得した。デビュー直前まで、せんだみつおが在籍、パーカッションをたたいていたという噂もある。
 
 

青い三角定規「太陽がくれた季節」

 作詞:山川啓介/作曲:いずみたく
 (50万枚/年間10位)

 「Let’s begin!」がキャッチフレーズだった村野武範主演TVドラマ『飛び出せ青春』の主題歌。サッカー部が舞台で、〈バナナシュート〉ってのがあったらしい。てことは、『ダッシュ勝平』の〈バナナシュート〉はパクリだったのか? この歌は小学校のときに歌わされた記憶がある。♪君は何をいま見つめているの 若い悲しみに濡れた瞳で 逃げてゆく白い鳩 それとも愛 君も今日からは僕らの仲間 飛び出そう 青空の下へ~。
 
 

平田隆夫とセルスターズ「ハチのムサシは死んだのさ」

 (25万枚/年間43位)

 死んだんだそうである、ハチのムサシは。たぶん、政治の季節の終焉を歌ったものだろう。日本版「ホテル・カリフォルニア」のつもりか。『みつばちハッチ』や『みつばちマーヤ』は関係なさそうだ。
 
 

斎藤哲夫「悩み多き者よ」

 〈若き哲学者〉から〈ピカピカに光って〉になる斎藤哲夫がフォーク界期待の新人時代のデビュー曲。どう考えても、「悩み多き者」というのは、斎藤哲夫のことである。当初の志とはまったくちがうCMソングで8年もたってから成功し、しかも、斎藤哲夫は成功に悩み、ちっとも楽しまなかったという。幸運の女神もそんな人間を成功させなくったってよさそうなものを。それとも、この場合の管轄は運命の女神で、イタズラだったのか。
 
 

RCサクセション「ぼくの好きな先生」

 3作目のシングルがヒットした。このころはまだフォークのくくりに入っていた。が、のちのロック・ミュージシャンになるような若者にも印象を残した。カップリングは「国立市中区3-1(返事をおくれよ)」。
 
 

注目の歌

 山平和彦「放送禁止歌」
 
 

■時代Topic 1972.02

 19日。いわゆる〈あさま山荘〉事件が起きる。長野県軽井沢において、連合赤軍のメンバーが管理人を人質にとって、浅間山荘(河合楽器の所有らしい)に篭城し、警察隊が包囲した。28日に警察隊が山荘の破壊作業を行い、突入するまで各局が終日中継し、なにも移らない画面にみんな釘づけとなった。TV史としても残る事件。人質は救出したが、〈総括〉と呼ばれるリンチ殺人が発覚、連合赤軍29人中14人が死亡していた。
 
 
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