橋本治はなぜ評価されるのか

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 橋本治は長年にわたって多くの著作を出してきた。すごいベストセラー作家というわけではないので、一般の人にまで名は知れわたっていないかもしれないが、グットセラーぐらいをつづけている。売れ行きよりも、著作の質によって、一目置かれているタイプの著述家である。

 そういう出版関係者やクリエイティヴな人たちから〈聞くに値する意見を述べられる人〉と思われている作家、著述家というのは、常に何人かいる。最近では、内田樹がそういう人物となっていることは、岡村靖幸『結婚への道 迷宮編』を読めばわかる。その内田樹が文学史上の功績があった作家として取り上げているのが橋本治だ。

 その橋本治が亡くなった。訃報にまつわる記事がネット上にあふれている。そういうものは基本読まないのだが、先日、ヨコジュンの訃報が流れたばかりで、こんどは橋本治かと思って、いくつか記事をナナメ読みしたら、これがひどい。新聞が作家や芸能人の類の訃報を伝えるとダメなのは昔からだが、ネット時代になって、ひどさが加速している。

(みんな、橋本治のことをわかってないんじゃないか?)

 とア然とした。すでに述べたように、一部の人々にとっては重要な存在と考えられているものの、大半の人にとっては未知の名前になっているのではないか。

 作家としてのデビュー作にして代表作『桃尻娘』の単行本が世に出たのが1978年。サザンオールスターズの同期である。好きキライはべつにして、音楽にまつわる文章を書くときに、桑田佳祐を知らぬではすまされないだろう。知らぬなら書かねばいいのだ。橋本治もそのクラスの人で、最後まで現役だった。

 ところが、Webライター諸氏は(新聞社系のニュースサイトも含めて)知らずに書いているらしい。判で押したように、という表現があるが、コピペしたかのごとく、そっくりで内容のない文章がならんでいる。そうでなければ、橋本治の過去の発言を引用して、自分の主張を述べたいような文章とか(そういう文章じたいはあってもいいと思うが、訃報の体裁にはそぐわないだろう)。

 コピペ主義者たちの訃報は、決まって、と言っていいほど、東大在学中に橋本治が手がけた駒場祭のポスター「とめてくれるなおっかさん 背中の銀杏が泣いている」(1968年)のことからキャリアを記している。たしかに、この件は有名なのだが、作家を紹介する冒頭がそれか。念のために、Wikipedia を開いてみたら、出身を記したあと、この部分から来歴をはじめていた。
「……のポスターで注目される。イラストレーターを経て」
 ハハ。おんなじの見たぞ。ホントに、コピペかよ。しかも、Wikipedia を。

 なぜインパクトをあたえたか解説しないと意味がない。『桃尻娘』や『桃尻語訳 枕草子』にしてもそうである。思えば、この人はインパクトの人であったのだ。

 享年70。そろそろであってもおかしくないけど、ちょっと早い年令だ。晩年の橋本治は、社会を批判的に語る何冊かの新書で注目された。おそらく、本人の語ったものを編集者がまとめて、さらに本人が筆を入れる形で作られていたのだと思う。橋本治はクセがある文体なので、一般向けにはその方がよかったのかもしれない。

 そういう発言のときには、東大卒がきいてくる。世の中には、学歴ぐらいしか自慢できるものがない人がいて、そういう人がやたら、東大をありがたがる。東大卒の発言だから、立派なことを言っているにちがいないと考える人たちがいるわけだ。念のために言っておくが、学歴と知性は別物である。橋本治には学校の勉強だけでは手に入れられない鋭い批評性があり、それだけだと文句を言ってくるような連中には、国文学の土台を示してひれ伏させる。


 
 
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